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エッセイ02:「古い校舎と永遠の笑い声 〜想い出の場所の記憶〜」の見出し画像
古い校舎と永遠の笑い声
〜想い出の場所の記憶〜

いつものようにベランダで洗濯物を干していて、ふと気がつく。

「校庭から子どもの声がしない」

わたしの住むマンションは、小学校の向かい側にある。上の方の階なので、ベランダから校庭を見渡すことができた。

校庭をぐるりと囲む桜の木。

春は入学してくるキラキラの目をした1年生をたくさんの花びらで迎え、夏は元気に茂った緑でベランダから見える校庭を半分隠してしまうけれど、秋には綺麗な赤や黄色に変わり、たくさんの落ち葉は子どもたちの図工の材料や遊び道具となった。

20分休みになると校庭は子どもたちで埋め尽くされて、わーわーきゃーきゃーと楽しそうな声が聴こえる。体育の時間には、子どもたちの体操のかけ声。夏のプールの授業のときは、拡声器を通して響き渡る先生のかん高い声。

運動会の時期には金管クラブの練習の音。低学年のダンスや6年生の組体操の練習を、双眼鏡片手にこっそりベランダから眺めて、我が子を探していた。

それは、ここに引っ越して来た11年前 (2000年) から、ずっと続いていた景色と音の記憶。

それもこの3月で終わりを迎えた。

昭和48年に今の場所に開校した小学校。耐震工事もできないほどに老朽化し、2年ほど前、別の場所への建て替えにようやくとりかかり、今年度 (2011年) の4月から新校舎での再出発となった。

新校舎は10分ほど離れた場所にあるが、遠いというほどの距離ではない。新しくて広い校舎はとっても気持ちがいいし、なにより老朽化した校舎で過ごすことの不安は解消されたわけだ。

上の娘は3月で卒業してしまい、旧校舎での最後の卒業生となり、新校舎で勉強することはできなかったけれど、下の息子はまだ3年生。迷路みたいで怖いんだよ~と言いつつ、新しいことに向かうのはとても楽しいらしく、わくわくしているようだ。

だけど、わたしは悲しくて仕方がない。

娘が小学校にあがる前から、土日開放していたあの小学校へ遊びに行っていた。

第一子である娘の小学校入学式の日を、あの満開の桜の木の下で迎えた。

低学年の頃は、マンションを出て横断歩道を渡って学校に入るまで、心配でベランダからずっと見ていた。遊びに行くのも学校の校庭でなら安心だった。

学校の役員の仕事は、狭くて暑い図書室で、今では懐かしいボロボロの木の椅子に座ってやったこともあった。

わたしはこの街の出身ではないけれど、想い出がたくさんある。11年って、やっぱり長いと思う。子どもが過ごした時間と同じ分だけ、わたしにも、この目の前に当然のようにずっとあった小学校に愛着があるのだ。

2011年3月11日。東日本大震災。

低学年がそろそろ下校するという時間だった。わたしは役員会があって学校にいた。

今まで経験したことのない、立っていられないほどの揺れ。わたしの立っていた場所の真上にある2階の連絡通路から、はがれた塗装がパラパラと落ちてきて、慌ててその場所から離れた。のちに聞いたが、その通路は亀裂が入り、地震後から使用禁止となったそうだ。

長く続いた最初の揺れ、そして繰り返し来る余震。

子どもたちは教室で机の下に隠れて、静かに先生の指示を待っていた。でも、そこにいた保護者の誰もが思ったと思う。この校舎は大丈夫なんだろうか。崩れて子どもたちを生き埋めにしないだろうか、と。

慌てて集まった保護者で校庭はすぐにいっぱいになった。「安全が確保できるまで、その場でお待ちください」と教頭先生からアナウンスが入り、保護者はみんな不安な表情で、子どもたちが校舎から出てくるのをひたすら待った。一斉下校になったのは、最初の揺れから2時間後のことだった。

数年前、一番古い校舎に耐震工事が入ったときは、古すぎてたいした耐震工事はできなかったと聞いた。

それなのに、あの大地震の日、よくがんばって子どもたちを守ってくれた。もうすぐ壊されてしまう旧校舎。最後の最後まで。長い間、お疲れさまでした…と言いたい。

新校舎での新学期が始まり、ベランダから見えるいつもの門は閉まったまま。子どもたちはいない。いつもの楽しそうな声が聞こえない。あの場所は違うものに変わってしまった。

でも、あの小学校の景色と音の記憶は、わたしの中にずっと残っている気がする。

季節とともに色を変える木々と子どもたちの楽しそうな声が、今でも聞こえてくる気がする。

わたしの中の永遠の景色。永遠の笑い声。何かが変わっていって想い出になるということって、こういうことなのかもれない。

「桜」の写真

小学校の校庭の桜